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第3回 ~「こうのとり伝説」とふるさと鴻巣~

ページID:0001284 更新日:2023年2月28日更新 印刷ページ表示

「鴻巣」の地名のルーツ

「鴻巣」の地名は、「こうのとり伝説」が由来となっているといわれています。

「こうのとり伝説」は、市内の鴻神社(本宮町1-9)が舞台。

鴻神社は、明治6年(1873)に、それまであった氷川社と熊野社、雷電社が合祀されて「鴻三社」となり、その後さらに7つの神社を合祀し、明治40年(1907)に、現在の「鴻神社」となりました。

江戸幕府が編纂した「新編武蔵風土記稿」(1810-1828)には、「氷川社は、鴻巣宿の総鎮守で鴻ノ宮ともいい、鴻巣の地名の由来となる神社である」との記載があり、古くから人々の崇敬を集めていたようです。

境内には、樹齢500年以上と伝わる2本のイチョウの木があり、「夫婦銀杏」として親しまれています。
鴻巣」の地名のルーツの画像
境内には三狐稲荷神社や幸の宮弁天社などがあり、ご利益いっぱいのパワースポットとして有名です。

いまに伝わる「こうのとり伝説」

鴻巣に古くから伝わる「こうのとり伝説」を紹介します。

 むかしむかし、鴻巣の宮地に本宮(もとみや)というところがあり、そこに小さな祠が祀られていました。

側には「木の神」と呼ばれる大きな木があって、村人はその木を「神様の木」として大切にしていました。ところがその木はお供えをしないと災いを起こすので人々は困っていました。

あるとき、1羽のコウノトリがやってきてその大木に巣を作ってたまごをうみました。すると、どこからか大きなへびが出てきて、そのたまごを食べようとしました。

怒ったコウノトリは矢のように巣に舞い戻り、そのへびと戦いになりました。そうして、ようやくへびを追い払いました。

その後、この地には災いもなくなり平和な日々が続くようになったということです。

村人たちはコウノトリに感謝して、その木の下にお宮をつくり、コウノトリのお宮「鴻の宮(こうのみや)」と名付け、この土地の守り神としました。

そしてこの地はいつのころからかこうのとりが巣を掛けたところとして「鴻巣(こうのす)」と呼ばれるようになりました。

 鴻巣市の秋のイベント「おおとりまつり」では、この伝説に因んだ「こうのとり伝説パレード」が行われています。こうのとり伝説を今に伝える勇壮なお祭りを楽しみながら、中仙道をめぐってみてはいかがですか?
こうのとり伝説パレード
こうのとり伝説パレードの様子
迫力満点のパレードは、大人気のイベント。市民が伝統を守り伝えています。