須田剋太画伯について

日展特選画家・司馬遼太郎「街道をゆく」挿絵画家

須田剋太氏の近影

生前の須田剋太。デニムのつなぎ服がトレードマークです。

 

須田剋太(すだこくた)画伯の略年譜

 

(写真)須田画伯の肖像写真1988年撮影

須田 剋太(1988年撮影)

西暦、年号、年齢、出来事を記載していきます。

 

 

吹上・浦和時代

画家として歩みだした青春時代

1906年(明治39年)0歳

5月1日、埼玉県吹上村(現鴻巣市)で誕生。

須田代五郎の三男、本名は勝三郎。

 

(作品)作品「道」

3年間の療養生活ののち、病気を克服して
1925年(大正14年)頃に描いた 「道」 (鴻巣市所蔵)

 

1927年(昭和2年)21歳

埼玉県立熊谷中学校(現在の熊谷高等学校)を卒業し、浦和へ転居。

 

1934年(昭和9年)28歳

画家・寺内萬治郎がその才能に注目し、光風会への出品を勧める。

 

 

(写真)青年時代の須田剋太画伯の肖像写真

(青年時代の画伯の肖像写真)

1935年(昭和10年)29歳

第22回光風会展に入選。

 

1936年(昭和11年)30歳

文展(文部省美術展覧会)で「休憩時間」が初入選。

 

1938年(昭和13年)32歳

 第2回新文展(新文部省美術展覧会)で「少女座像」が入選。
 (注釈・・・新文展は、現在の日展(日本美術展覧会)のこと)

 

1939年(昭和14年)33歳

第3回新文展で「読書する男」が特選。



(作品)「桃割れの子」

この年、母校である吹上小学校へ寄贈された作品 

「桃割れの子」 (1937年制作)
(その後、太平洋戦争の混乱で行方不明となり、現在に至る)

 

 

1940年(昭和15年)34歳

奉祝展で「苦力」が入選。

 

1941年(昭和16年)35歳

第4回新文展で「若き男」が入選。

 

 



京都・奈良時代

関西に移り住み、官展(新文展、日展)で相次ぐ特選など、画家としての名声を確立した時代

1942年(昭和17年)36歳

第5回新文展で「神将」が特選。

東大寺観音院住職・上司海雲に土蔵の提供を受け、アトリエとする。

 

1945年(昭和20年)39歳

奈良・新薬師寺で知り合った岡田静と結婚。

 

1946年(昭和21年)40歳

第2回日展で「東大寺正面」が入選。

 

1947年(昭和22年)41歳

第3回日展で「ピンクのターバン」が特選。

兵庫県西宮へ転居。

 

西宮時代(前半)

戦後、具象から抽象に転換した時代

1949年(昭和24年)43歳

光風会を辞して国画会の会員となる。

画家・長谷川三郎との出会いを機に、以後、抽象画に傾倒する。

 

1950年(昭和25年)44歳

日本橋・三越にて個展を開催。

 

1954年(昭和29年)48歳

第1回現代日本美術展に出品。

 

1955年(昭和30年)49歳

日本国際美術展に出品。

 

1957年(昭和32年)51歳

ブラジルの第4回サンパウロ・ビエンナーレ展に出品。

 

1959年(昭和34年)53歳

イタリアの第11回プレミオ・リソーネ展に出品。

アメリカのヒューストン美術展に出品。

 

1961年(昭和36年)55歳

アメリカのカーネギー国際現代絵画彫刻展に出品。

 

1962年(昭和37年)56歳

西宮市民文化賞を受賞。

 

(作品)「抽象1964」

(この頃の作品) 

鴻巣市所蔵の抽象画 (1964年制作)

 

1967年(昭和42年)61歳

 西宮市民会館アミティホールの緞帳を制作



西宮時代(後半)

司馬遼太郎さんと共に、日本全国・世界各国を取材し、独自の絵画・書を確立した時代

1969年(昭和44年)63歳

毎日新聞連載、作家・犬養道子の「日本人の記録 犬養木堂」の挿絵を担当する。

(5・15事件で命を落とした犬養毅首相の伝記小説で、道子氏は首相の孫。)

夕刊に約1年間、254話を連載した。

画伯の具象画の発表再開、ひいては「街道をゆく」への道標にもなった。

(原画246点は鴻巣市所蔵)

 

(絵)小説「犬養木堂」の挿絵

「日本人の記録 犬養木堂」の挿絵

「第1章 プロローグ」より

 

 

1971年(昭和46年)65歳

週刊朝日連載、作家・司馬遼太郎の「街道をゆく」の挿絵担当開始。

兵庫県文化賞を受賞。

 

 

(作品)「牡丹花」

(この頃の作品) 
鴻巣市所蔵の作品 「牡丹花」 (1973年制作)

 

 

 

 

1976年(昭和51年)70歳

吹上町文化功労賞を受賞。

 

 

(写真)郷里の友人と画伯

多忙を極める画伯は11月の授賞式を欠席したものの、翌月には
吹上町文化連盟会長で幼なじみであった上岡良氏(写真の一番左)に
感謝の手紙を送付、翌年には里帰りして懐かしい友らと旧交を温めた。

 

1977年(昭和52年)71歳

大阪芸術賞を受賞

 

1983年(昭和58年)77歳

「街道をゆく」の挿絵で第14回講談社出版文化賞を受賞。

 

(墨書)「生命」

(この頃の作品)

鴻巣市所蔵の墨書作品 「生命」 (1984年制作)

1988年(昭和63年)82歳

第17回フジサンケイブループ広告大賞を受賞。

 

 

(作品)「寒山拾得」

(この頃の作品) 
 鴻巣市所蔵の作品 「寒山拾得」 (1988年制作)

 1989年(平成1年)83歳

 埼玉県立近代美術館で「須田剋太作品(抽象)展」を開催

 

1990年(平成2年)84歳

長野県飯田市美術博物館で「知られざる須田剋太の世界 抽象画と書・陶」開催
 7月14日、神戸市内の病院で死去

 

「造型略歴 (須田剋太の自伝)」 へ(PDF:816.1KB)

この記事に関するお問い合わせ先
生涯学習課生涯学習担当
〒365-8601
埼玉県鴻巣市中央1-1(本庁舎3階)
電話:048-541-1321
ファックス:048-542-1930
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更新日:2019年2月18日