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鴻巣市の歴史(れきし)

ページID:0001010 更新日:2023年2月28日更新 印刷ページ表示

鴻巣市の歴史について

鴻巣市には長い歴史があり、文字も使(つか)っていないような昔から人間(にんげん)が住んでいました。

その長い歴史の中で作られた伝説(でんせつ)や物(もの)がたくさんありますので、ここではその中のいくつかを紹介(しょうかい)します。

コウノトリ伝説(でんせつ)

昔、市内の宮地(みやじ)というにところに、コウノトリが住む大きな大きな木がありました。その土地(とち)に住む人々は、これを木の神(かみ)として崇(あが)め、お供(そな)え物(もの)をして祭(まつ)っていました。もしお祭りを途中(とちゅう)で止めると祟(たた)りがあり、人々に良くないことが起(お)こると言(い)われていました。

ある時、1羽のコウノトリがその木を訪(おとず)れ、その一番高い枝(えだ)に巣(す)を作りました。その後、一生懸命(いっしょうけんめい)タマゴを抱(だ)いて温(あたた)める光景(こうけい)が見られるようになりました。

しかし、そのタマゴを狙(ねら)ってどこからともなく大蛇(だいじゃ)が現(あらわ)れました。その大蛇は襲(おそ)い掛(か)かろうとしましたが、コウノトリはくちばしでつついてその大蛇を退治(たいじ)してしまいました。

それ以来(いらい)、この木の神は人々に危害(きがい)を与(あた)えることがなくなったといいます。このような出来事(できごと)があってから、ここに祭られたお社(やしろ)を「鴻ノ宮(こうのみや)」と言うようになり、地名(ちめい)も「鴻巣」と呼(よ)ばれるようになったといいます。

コウノトリ伝説の想像イラスト
伝説に出てくる「鴻ノ宮」は、今の鴻神社(こうじんじゃ)です。
鴻神社境内の写真

鴻巣の史跡(しせき)について

昔の人々が住んだ家(いえ)の跡(あと)や、お墓(はか)の跡、またそれに関連(かんれん)して作られた場所や長い歴史(れきし)のある所(ところ)のことを「史跡」と言います。鴻巣市にある史跡の中から少し紹介しますので、興味(きょうみ)を持(も)ったら自分でも調(しら)べてみましょう!

県指定(けんしてい) 史跡 「一里塚(いちりづか)」

江戸時代(えどじだい)、参勤交代(さんきんこうたい)をきっかけとして日本のあちこちの道路(どうろ)が整備(せいび)されました。メインとなる街道(かいどう)には、距離(きょり)の目安(めやす)として「一里塚」が造(つく)られました。

一里塚は、江戸日本橋(えどにほんばし)からはじめて一里(いちり・今でいう約(やく)4km)ごとに、およそ10m四方(しほう)の塚(つか)を造り、その上に榎(えのき)や松(まつ)を植(う)えたものです。

鴻巣市内では小松(こまつ)という場所(ばしょ)に残(のこ)っており、昔(むかし)はこの塚の前(まえ)を中山道(なかせんどう)が通(とお)っていたことを示(しめ)す、重要(じゅうよう)な史跡として保存(ほぞん)されています。

県指定史跡一里塚の写真

県指定 史跡 「馬室埴輪窯跡(まむろはにわかまあと)」

鴻巣市原馬室(はらまむろ)という場所にある、埴輪(はにわ)を焼(や)いた窯(かま)の跡です。昭和(しょうわ)7年に発掘調査(はっくつちょうさ)が行われ、現在(げんざい)は史跡公園(しせきこうえん)として整備(せいび)されています。

埴輪は、古墳時代(こふんじだい)に作られた素焼(すや)きの置物(おきもの)です。粘土(ねんど)を練(ね)って作られ、窯で焼いて完成(かんせい)します。お祭りや魔除(まよ)けとして、古墳(こふん)と呼ばれるお墓の上に並(なら)べ立てられました。

市内には「生出塚埴輪窯跡(おいねづかはにわかまあと)」という遺跡(いせき)もあり、そこからは高さ130cmもある人型(ひとがた)の埴輪や、馬型(うまがた)の埴輪、水鳥(みずどり)の埴輪など、様々(さまざま)な埴輪が発掘調査によって見つかっています。

生出塚埴輪窯跡から見つかった埴輪は、クレアこうのすの1階にある歴史民俗資料(れきしみんぞくしりょう)コーナーで展示(てんじ)しています。ぜひ見学(けんがく)してくださいね。

生出塚遺跡から見つかった武人埴輪の写真
生出塚遺跡から見つかった武人埴輪(ぶじんはにわ)
クレアこうのすの歴史資料展示コーナーの様子
クレアこうのす展示コーナー